習得重要度A公共の福祉の通説である、一元的内在制約説の内容について。詳しくは、「二重の基準」に譲るが、なぜ自由権が必要最小限度の制約なのか、はイメージできるようにしておきたい。


「公共の福祉」という人権相互の調整原理は、これ自体では具体性に欠くので、
法律などによって調整が図られるわけですが、どういう基準で調整していけばいいか、「公共の福祉」という原理だけではハッキリしませんよね。

そこで人権の性質毎個別に調整具合を変えていこうという考え方があります。

何でこういう考え方があるかというと、公共の福祉による調整は、
できれば、最小限度に留めたいというのがあります。

イメージできますでしょうか、
本当は最大限尊重したいのですが、それはどうしても無理な話なのです。
それが、人権の宿命なのですから。
だったら、できる限りは尊重しようということで、最小限度という話になるわけですね。

人権調整を変えていく理由

さらに、人権の性質毎に調整度合いを変えていこうという考えもあるんですね。

公共の福祉のダブルスタンダード図
人権の分類では、「国家からの自由(自由権)」とか「国家による自由(社会権)」などといった人権を性質毎に分類していますが、自由権はまさに「国家権力は俺に介入しないでくれ」という人権として非常にベーシックなものです。

ベーシック、土台になる人権ですから、
公共の福祉による制約もデリケートに扱わざるを得ません
ここが傷つくと他の性質の人権にも大きな影響が出てしまいます。

よって、国家も自由権の「公共の福祉」による制約は、
よりデリケートに、必要最小限の制約(自由国家的公共の福祉)心がける必要があります。

他方、社会権は自由権ほどデリケートに考える必要はないと考えていきます。
なぜなら、社会権などは自由権がしっかり確保されていれば、比較的挽回は容易になってくるから。

社会権の場合、「公共の福祉」による制約は必要な限度において認められる制約(社会国家的公共の福祉)が必要になってきます。

イメージ的には自由権の「公共の福祉」は、社会権のそれよりデリケートな制約が求められると言った方が正確でしょうか。
いずれにせよ、「公共の福祉」による制約は、人権の性質によっては、ダブルスタンダードだったりするんですね。

一般的にダブルスタンダードというとあまり良い意味では使われませんが、
こと「公共の福祉」の判断においては合理的であると考えていく訳です。

このへんの「ダブルスタンダード」については、他のページでもっと詳しくお話しするつもりです。
ここでは、そういうことがあるのかということを認識しておいてください。