マッカーサーの指示の下、ポツダム宣言の内容をもとに明治憲法を改正
する必要があった当時の幣原喜重郎内閣は、「松本委員会」という憲法
問題調査委員会を設け、憲法改正に動き出しました。

同委員会は、
甲案・乙案の二つの草案を作成しましたが、1946年2月1日、
その試案が毎日新聞にスクープされ、世に出てしまいました。

その草案を見たダグラス・マッカーサーはこの試案内容に不満を示し、
1946年2月3日、「マッカーサー3原則」を打ち出し、新憲法の
GHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始されました。

「マッカーサー3原則」とは、
「戦争の放棄」「象徴天皇制」「封建制の廃止」でした。

憲法草案の作成

そして2月13日、マッカーサー草案が完成し、日本政府に渡され
ます。つまり、日本国憲法の原案は、実質、1週間程度で作成された
ことになります。

草案は、民政局の20代~50代の25人の日本通の弁護士や学者達
で作成されていますが、その中には憲法のスペシャリストはひとりも
いなかったそうです。

草案は、
ドイツのワイマール憲法やソ連のスターリン憲法あたりを参考にして
作成されたそうです。

民政局には、
マルクス社会主義者や日本の急進派など、共産主義者が数多く在籍していた
そうで、そういった者の意見も大きく取り上げていったそうです。

そして、このマッカーサー草案をもとに日本政府案の憲法改正案がま
とめられていきます。このスタッフはGHQ側は20人、日本側はたっ
たの一人という状況でした。

さらに、
帝国議会両院でも憲法改正小委員会を設けて議論していきましたが、
すべてGHQの監視付だったそうです。

こういった状況の中で内閣草案は、明治憲法73条の手続きに従って
可決され、1946年11月3日、日本国憲法として公布され、
翌年の5月3日、行されました

当時の日本はGHQ占領下

だいぶ駆け足でしたが、これが日本国憲法の成立過程です。

当時の日本はGHQ占領下でしたので仕方がない部分もあるかもしれませ
んが、日本人・日本政府云々ではなく、GHQ主導の下に進められ、GHQ
の良いように制定していったのが日本国憲法でした。

「日本国憲法は押し付け憲法だ」なんてセリフを聴いたことがあるかも
しれません。私も過去に何度か聞いてきました。

最初はよく意味が解らなかったのですが、調べていくと納得しました。

日本国憲法は日本人の意志が反映されたのではなく、共産主義思想が
蔓延していたと言われる民政局(ソ連のスパイが数多くいたとも言わ
れていますが)の意志を基に制定されていった憲法と言えるでしょう。