私たち国民は、殆どの場合、直接的に政治家や行政の活動等についての情報は入ってきません。マスメディアという媒体を通じてしか入ってきません。

そして、
その情報を通じて我々国民が政策内容を知ったりするわけです。いわば、国民が国家権力が暴走しないようにマスメディアを通して「監視」
するわけですね。

この「監視」が機能しないと、国家権力への民主的コントロールが機能しなくなり、国家権力は好き勝手し放題です。となると、このシステムが正常に機能するには「媒体」であるマスメディアの役割が重要になってきます。

しかし、このマスメディアですが、正常に機能しているとは言えず、国益を損なっている状況と言わずにはいられません。これは我が国に本に限らず、海外もそうだということは、直近の米大統領選での米メディアで目の当たりにしましたけどね・・・まあ、海外は置いておいて、日本のマスメディアは壊滅的にひどいですけど。

ここで言うマスメディアとは、テレビ・新聞といった大手メディアのことを指しますが、日本の国益とはならないやらせ・捏造・偏向報道が後を絶ちません。

ということで、日本国憲法におけるメディアの役割とともに、大手マスコミのやらせ・捏造・偏向報道についてお話していこうと思います。

基礎知識として「報道の自由」と「知る権利」の関係について。

「表現の自由」とは

「報道の自由」も「知る権利」も、日本国憲法21条1項にある「表現の自由」によって保障されている人権とされています。

第21条1項 集会・結社・表現の自由

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する

ここで言う「表現」とは、思想・信条の発表に限定されず、あらゆる表現活動を意味するものですが、ベーシックな価値観として民主政に資する社会的価値にあるとされています。

つまり、国民が政治的意思決定に関与する意味での言論活動が「表現の自由」の根本的価値観であると。

国民主権である以上、表現の自由は非常に大事

国民主権原理を採用する日本国憲法において、国民の代表者を国会に送り込む、あるいは選出する際の判断材料としての表現の自由は、我々の社会生活においてどうしても守らなければならない人権であると言えるでしょう。

「知る権利」とは

そこで「知る権利」です。

なぜ「知る権利」が21条によって保障されているのでしょうか。「知る」行為は「表現」行為とは違うもののようなのですが。

民主政に資する意味での表現活動には国家からの情報公開が必要になります。国がどんなことをしているのか分からないようであれば、表現のしようがありません。

国が国民の政治的意思決定とは何も関係ない、例えば、総理大臣の好物とか趣味とかどうでもいい情報しか公開しないのであれば、それは違うでしょ、ということになりますよね?

まともな国民は「俺たちの知りたい情報はそんなものじゃない。ちゃんとした情報を流せ!」などと言うのは、まさに「知る権利」です。

以前は、
国民が情報の受け手に固定化してしまっているたので、情報の受け手から表現の自由を再構築する趣旨と言う意見もありました。現在はこの問題はインターネットが解決しつつありますので、素直に国民主権原理から考えた方がしっくりくはずです。

たまに、芸能記者が芸能人の過去のプライバシーを暴いて「我々には知る権利がある!」とかほざいていますが、あれはナンセンス。「知る権利」の使い方が間違っています。芸能人は有名人ではありますが、「公人」ではありません。欲しいのは知る権利じゃなくて視聴率でしょ?

それに、この場合は憲法13条で保障されているとされるプライバシー権とぶつかりますので、単純に「知る権利」を振りかざす場面ではありません。

「報道の自由」とは

次に「報道の自由」です。

報道とは世の中で起こっている「事実」を広く国民に知らせることです。報道には取材・編集・発表という、いわば、「表現」行為を含んでいますが、あくまで「事実」を広く国民に知らせることです。

つまり、
「報道の自由」とは国民の「知る権利」に奉仕するもの(博多駅テレビフィルム提出命令事件:最高裁昭和44年11月26日大法廷)であり、民主政の構成にとって重要な役割を担っているわけです。

そして、
その国民の「知る権利」に奉仕するという役割に存在意義というか、保障する意味があるわけです。

多くの日本国民はいまだ既存メディアに寄りかかっている

現在、インターネットの普及によって表現の自由の形態が変わりつつありますが、それでもインターネットの操作に疎い方、インターネットとはあまり縁の無いと思われる高齢者の方が数多く、「知る権利」の媒体は既存メディアである場合が圧倒しています。

特に、新聞・テレビと言ったメディアに依存している現実があります。

つまり、多くの国民の己の政治的意思形成は新聞・テレビ(特にテレビでしょうか)のみに委ねられている状態です。人によっては「テレビが言うことは間違いない」こう思っている方の結構な数で存在していると思われます。

次へ続く