日本国憲法とは、我が国日本の唯一の憲法です。
このページでは、いつ頃、どういった経緯を以って成立した憲法なのか、どんな特徴があってどんな構成になっているのかということをお話します。ほんの紹介にすぎませんが、このサイトでお話していく日本国憲法のプロフィールだと思ってご覧いただければと思います。
日本国憲法とは
日本国憲法とは、現在我が国日本における憲法です。成立は1946年11月3日、施行はその半年後の1947年5月3日です。
前文と10章からなる全103条で構成される成文憲法(文書の形で残されている憲法)であり、かつ、硬性憲法(憲法改正が法律改正よりも厳格な手続きによる憲法)です。
103条は大きく分けて人権保障(国民の人権保障に関する規定)と統治機構(国家機関に関する規定)に分けられており、人権保障では、表現の自由(21条)や幸福追求権(13条)などが規定され、統治機構では三権分立(41条・65条・76条1項)や違憲立法審査権(81条)などが定められています。
日本国憲法の成り立ち
日本国憲法はどういった経緯で成立した憲法なのでしょうか。ちょっとした歴史の話ですが、日本人としてはぜひ知っておくべき内容ですので、ここでご紹介します。
大日本帝国憲法の存在
日本国憲法は、日本にとって最初の憲法というわけではありません。日本国憲法は2代目の憲法であり、以前は大日本帝国憲法が存在しました。別名「明治憲法」です。
日本国憲法は形式的にはこの大日本帝国憲法の改正憲法として成立しています。このことは日本国憲法に「上諭(じょうゆ=天皇の言葉として記された法令の裁可・公布文)」という形で記されています。六法全書の憲法の冒頭に付されています。下、その上諭です。
朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
日本国憲法の成立過程
日本国憲法は、1947年5月3日に施行され現在に至っています。大日本帝国憲法からどのような過程を経て日本国憲法の成立・施行に至ったのでしょうか。
時系列的に、
- ポツダム宣言受諾
- マッカーサー三原則
- GHQ民生局による憲法草案作成
- 議会での可決、公布・施行
といった流れになってきますので、順番にお話していきます。
1.ポツダム宣言受諾
1945年7月26日に発せられたポツダム宣言には国体護持(※)の条項他がなかったため、当初はその受諾に際して政府内では議論が巻き起こりました。
しかし、その後のソ連側の日ソ中立条約の一方的破棄、広島・長崎の原爆投下によって「国体護持」一点を条件に降伏文書に調印する旨、GHQ側に通告、これに対する回答を待ちました。
ただ、GHQ側の回答は微妙なものであり、取りようによってはどちらとも取れる内容でした。その曖昧な中、日本政府は宣言を受諾することになりました。
日本は第二次世界大戦に敗れました。日本国憲法はここから始まりました。ポツダム宣言には国体護持が具体的には盛り込まれていなかったため、国内的にはそのあたりの混乱があったようですが、とにかく日本は武装解除しました。
※「国体(こくたい)」とは、「国柄(くにがら)」と同義です。国の在り方とか国のアイデンティティーとかそういった意味合い。わが国の日本の国体とは、「天皇を頂とすること」です。今の天皇制とは違いますが、少なくとも、日本国憲法が成立するまでは、有史からほぼ全ての日本人がそう考えていました。
2.マッカーサー三原則
GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの指示の下、ポツダム宣言の内容をもとに明治憲法を改正する必要があった当時の幣原喜重郎内閣は、「松本委員会」という憲法問題調査委員会を設け、憲法改正に動き出しました。同委員会は、甲案・乙案の二つの草案を作成しましたが、1946年2月1日、その試案が毎日新聞にスクープされ、世に出てしまいました。
その草案を見たダグラス・マッカーサーはこの試案内容に不満を示し、1946年2月3日、「マッカーサー3原則」を打ち出し、新憲法のGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始されました。
「マッカーサー三原則」とは、
- 戦争の放棄
- 象徴天皇制
- 封建制の廃止
です。
3.GHQ民生局による憲法草案の作成
そして2月13日、マッカーサー草案が完成し、日本政府に渡されます。つまり、日本国憲法の原案は、実質、1週間程度で作成されたことになります。草案は、民政局の20代~50代の25人の日本通の弁護士や学者達で作成されていますが、その中には憲法のスペシャリストはひとりもいなかったそうです。
草案は、ドイツのワイマール憲法やソ連のスターリン憲法あたりを参考にして作成されたそうです。民政局には、マルクス社会主義者や日本の急進派など、共産主義者が数多く在籍していた
そうで、そういった者の意見も大きく取り上げていったそうです。
そして、このマッカーサー草案をもとに日本政府案の憲法改正案がまとめられていきます。このスタッフはGHQ側は20人、日本側はたったの一人という状況でした。
4.議会で可決、公布・施行
さらに、帝国議会両院でも憲法改正小委員会を設けて議論していきましたが、すべてGHQの監視付だったそうです。
こういった状況の中で内閣草案は、明治憲法73条の手続きに従って可決され、1946年11月3日、日本国憲法として公布され、翌年の5月3日、施行されました。
当時の日本はGHQ占領下
だいぶ駆け足でしたが、これが日本国憲法の成り立ちです。当時の日本はGHQ占領下でしたので仕方がない部分もあるかもしれませんが、日本人・日本政府云々ではなく、GHQ主導の下に進められ、GHQの良いように制定していったのが日本国憲法でした。
日本国憲法は日本人の意志が反映されたのではなく、共産主義思想が蔓延していたと言われる民政局(ソ連のスパイが数多くいたとも言われていますが)の意志を基に制定されていった憲法と言えるでしょう。
日本国憲法の構成
日本国憲法は、前文と103つの条文で構成されています。全文で103条ですが、100条以降は日本国憲法成立・施行時の補足規定ですので実質的には99条までが機能している条文と言えます。
その前文と99条について簡単に触れたいと思います。
参考:日本国憲法
前文
前文は、普通に「ぜんぶん」と発音しますが、「まえぶん」と発音する方も少数派ですがいらっしゃるようですね。「まえぶん」の方が通っぽく聞こえますが、まあどっちでもいいと思います。
この前文とは、各規定の「まえがき」みたいなものです。六法全書をめくってると、各法律の前に何やら文章が書かれているのですが、それは、法律制定の目的や精神みたいなものが書かれていますが、それが前文です。
日本国憲法の場合、国民が主権であることを宣言し、近代憲法が含んでいる価値観や原理などが謳われています。
総論
第1章は「天皇」。1条は「象徴天皇制」の条文であり同時に国民主権が謳われています。ここから8条までは天皇に関する規定が並びます。
第2章は「戦争の放棄」。ここは9条のみですが日本国憲法で最も有名かつ特徴的な規定である「平和主義」の規定があります。ここまでが総論部分です。
第1章「天皇」 | 1条~8条 |
---|---|
第2章「戦争の放棄」 | 9条 |
人権保障
そして、10条から第3章「国民の権利及び義務」になり、ここから人権規定になります。「権利及び義務」とありますが、実際には義務規定は3つしかありません。残りはすべて人権保障の規定です。
人権の分類
人権というもの、その性質によって分類することができます。この第3章内の人権規定も同様に分類可能ですので併せてご紹介します。
精神的自由
精神的自由とは、精神活動の自由であり、人々の行動の基礎になるものです。もっとも大事な人権と言われており、ここを守るために憲法は厚く保障されるべき人権と言われています。
幸福追求権 | 13条幸福追求権 |
---|---|
法の下の平等 | 14条 |
思想・良心の自由 | 19条 |
信教の自由・政教分離原則 | 20条 |
表現の自由 | 21条 知る権利 |
学問の自由 | 23条 |
精神的自由権の内面的自由と外面的自由の類型
内心的精神活動の自由 | 外部表示的行為の自由 | |
---|---|---|
19条と21条の関係 | 思想良心の自由 | 表現の自由 |
信教の自由 | 信仰の自由 | 宗教活動の自由 |
学問の自由 | 研究の自由 | 研究発表の自由 |
経済的自由
経済的自由とは経済活動の自由のことです。どんな商売をしてもいいのかいけないのか、どこでも商売をしていいのかなど。
また人の移動の自由などもこの経済的自由に含もます。
職業選択・居住移転の自由 | 22条 |
---|---|
財産権 | 29条 |
人身の自由
人身の自由とは、物理的な身体の自由のことです。精神的な拘束もそうですが、いわれなく身体的自由を奪われるのは大昔からあってb人権侵害と言えます。
日本国憲法でいえば、刑事手続きに関する規定がそれにあたります。
奴隷的拘束からの自由 | 18条 |
---|---|
適正手続の保障 | 31条(罪刑法定主義) |
被疑者の権利 | 33条‐35条、38条 |
被告人の権利 | 36条‐39条 |
受益権
受益権とは国に何かを請求する権利のことです。請求した結果はともかく、その請求する権利は妨げられないという性質の権利になります。
請願権 | 16条 |
---|---|
裁判を受ける権利 | 32条 |
国家賠償請求権 | 17条 |
刑事補償請求権 | 40条 |
社会権
社会権とは、「国家による自由」と言われえるもので、社会的・経済的弱者が一定の社会生活を営むことができるよう国に措置を求める権利です。
典型例が生活保護でしょうか。コロナ過の生活支援もそうですね。
生存権 | 25条 |
---|---|
教育を受ける権利 | 26条 |
勤労の権利 | 27条 |
労働基本権 | 28条 |
参政権
参政権とは「国家への自由」と言われる人権で、政治に参加する自由のことです。平たく言えば、選挙権・被選挙権のことになります。
参政権 | 15条 |
---|
統治機構
41条以下は統治機構の規定です。統治機構というのは、国家権力についての規定になります。三権分立のそれぞれを担う、立法、行政、司法、すなわち、国会(41条)、内閣(65条)、裁判所(76条1項)の規定が並びます。まさに、国家中枢組織の規定ですね。
第4章「国会」 | 41条‐64条 立法権 |
---|---|
第5章「内閣」 | 65条‐75条 |
第6章「司法」 | 76条‐82条 司法権 違憲立法審査権 |
第7章「財政」 | 83条‐91条 |
第8章「地方自治」 | 92条‐95条 |
第9章「改正」 | 96条 |
第10章「最高法規」 | 97条‐99条 憲法尊重擁護義務 |
日本国憲法の三大原則
日本国憲法には三大原則なるものがあります。それは、
- 国民主権
- 平和主義
- 基本的人権の尊重
ひとつづつ見ていきましょう。
国民主権
日本国憲法の前文及び1条には「日本の主権者は国民である」と高らかに宣言しています。ここでいう「主権」とは、国の在り方を最終的に決する権利のことで、つまり、日本どこに進むのかの責任は最終的には国民が負うとい意味になります。
平和主義
この規定が最も日本国憲法を表している原則でしょう。
9条に「戦争の放棄」が規定されていますが、これが平和主義の規定であるとされています。解釈は様々ありますが、戦争を否定し戦力の不保持を謳っているとされます。
基本的人権の尊重
人として生まれてきた以上、人間らしく生きていく権利がありそれは尊重されるべきという原則です。日本国憲法は近代憲法から発した憲法であり、その近代憲法の原理原則が「個人の尊厳・個人の尊重」です。
13条がその「個人の尊厳個人の尊重」の重要性を謳った規定で、日本国憲法でも最も重要な規定とする説もあります。
日本国憲法の三大義務
日本国憲法は国民に対しての人権保障を規定していますが、実は義務規定もあります。それは、次の3つ。
- 教育(26条2項)
- 勤労(27条1項)
- 納税(30条)
教育の義務
これは教育を受ける義務ではなく、保護者が子女に教育を受けさせる義務を指します。
勤労の義務
働く能力がある者は働いて稼いでください、それで生活してくださいという規定です。当たり前と言えば当たり前で、経済活動で回していかないと国なんてすぐにつぶれてしまいます。国民からしても言われなくてもわかってるといったところでしょうか。
納税の義務
働いて稼いだらちゃんと税金納めてくださいという義務です。言わずもがな、国は税金で回していっているわけで、納税してくれないと社会保障費も賄えません。
まとめ
以上、日本国憲法についてお話させていただきました。
当然これはちょっとしたプロフィールにすぎず、内容的にはほとんど触れていません。ただ、こういったアウトラインを知っておくのは大事であり、特に日本国憲法の成り立ちはぜひ知っておいていただきたいことです。
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